AIに仕事を奪ってほしい。
僕は今、精神保健福祉士として、心の病を抱える方や生活に困りごとがある方の相談に乗る仕事をしています。
Xのこの投稿(生成AIに仕事を奪われて月収が激減した)を見て思ったことがあります。
28歳。限界フリーランス。AIに仕事を奪われて月収が激減した話。
「AIに仕事を奪ってほしい」
そう思いました。
一見すると冷たく聞こえるかもしれません。でも、これは決して「仕事をサボりたい」という意味ではありません。むしろ、僕たちがもっと「人間らしく」あるために、そして目の前の誰かを本当の意味で救うために、AIの力が必要不可欠だと思っているからです。
今日は、そんな僕の「AIと福祉の未来」についての本音を、少しお話しさせてください。
僕たちが「人間」であることの限界
僕たち対人援助職には、どうしても逃れられない「限界」があります。
僕たちは「夜は眠る」し、「休日は休む」生き物だということです。当たり前ですよね。でも、相談者の方を襲う「死にたい」「消えてしまいたい」という激しい波は、皮肉なことに、相談窓口が閉まった真夜中や、誰とも繋がれない休日にこそやってくることが多いんです。敢えて僕らが休んでいる休日です。
そんな時、僕たちは話を聴くことができません。電話も繋がらないし、メールの返信も明日まで待ってもらうしかない。その空白の時間に、絶望が入り込んでしまう。あたりまえですよね。僕らも人間ですから。
でも、AIならどうでしょう。AIは24時間365日、1秒も待たせることなく応答してくれます。深夜3時の希死念慮に対して、「今、お話しできますよ」とフラットに、何度でも、何時間でも耳を傾けてくれる。これは、どれだけ優秀な人間でも物理的に不可能な、AIにしかできない「救済」の形だと思うんです。
それに、良くも悪くも、僕たち人間は、自分の体調や気分の揺らぎがゼロではありません。疲れている時、余裕がない時、どうしても「あぁ、また同じことを言っているな」とか「この話、重いな」と、心のどこかでバイアスがかかってしまいますよね。僕も8年働いていますが、よく思いますよ。
一方でAIは、どんなに重い話を何回聞いても疲弊しません。怒らず、引かず、批判せず、常にフラットに受け止め続けてくれる。「人間にこんなことを言ったら引かれるんじゃないか」という不安を抱える人にとって、AIは「世界で一番安全な聞き役」になり得るんです。良くも悪くも。
さらに、制度や法律、薬の知識といった「情報提供」に関しても、AIの右に出る者はいません。 「障害年金の申請条件は?」「この薬の副作用は?」「この自治体で使える助成金は?」 こうした調べ物は、AIの方が圧倒的に早くて正確です。
こうした「傾聴」の一部や「情報提供」、そして膨大な「書類作成」といった事務作業。これらはもう、どんどんAIに奪ってもらいたい。いや、むしろ「託したい」とさえ思っています。
「最適解」が正解じゃないとき
じゃあ、AIが全部やってくれるなら、僕たち精神保健福祉士はいらなくなるのか?
どう思いますか?支援者の方々。利用者の方々。
僕は、それでも『ノー』です。
むしろ逆なんです。AIが「土台」を支えてくれるからこそ、人間にしかできない「核心」の部分が浮き彫りになってくる。
僕が仕事をする中でいつも感じているのは、「物事においての最適解や最適化が、必ずしもその人の正解じゃない」ということです。
例えば、こんな方がいました。 長年、自分の生きづらさに苦しみながらも、「障害者手帳」を取ることだけは頑なに拒んできた方です。
客観的・論理的に見れば、手帳を取るのが「最適解」です。手帳があれば福祉サービスが受けられるし、税金の減免もあるし、障害者雇用という枠で無理なく働ける可能性も広がる。AIに相談すれば、きっと数秒で「今のあなたには手帳の取得がベストな選択肢です」と回答するでしょう。
でも、その方の感情が、どうしてもそれを許さなかった。
「手帳を持つことは、自分のこれまでの努力を否定することになるんじゃないか」 「『障害者』というラベルを貼られたら、もう二度と元の世界には戻れないんじゃないか」
理屈では分かっていても、心が追いつかない。ピタッと「型」にはまることがベストだと分かっていながら、感情が激しく抵抗する。そんな時、僕たちは「よりBetterな方」を探して、一緒に道草を食うことになります。
道草を食うとは言葉が良くないですね。専門用語でいうなら「リカバリー」
あえて手帳の話題を脇に置いて、とりとめもない雑談をしたり。 その人にとって必要不可欠だから「一般雇用」に挑戦して、やっぱり上手くいかなくて一緒に落ち込んだり。 「今はまだ、取りたくないんだよね」とその気持ちをそのまま抱えて、ただ隣に居続ける。
この「待つ」という行為、そして「道草を食う(リカバリー)」というプロセス。 これこそが、AIには絶対にできない、人間だけの領域なんです。
AIには「沈黙」や「わからない」という状態はエラーでしかありません。常に答えを出さなければならない。でも、人間の支援において大切なのは、答えを出すことではなく、「答えが出るまで一緒に迷い続けること」だったりします。
結局その方は、長い時間をかけて、自分自身で納得して「手帳を取る」という決断をされました。その決断にたどり着くまでの長い「道草(リカバリー)」があったからこそ、今、その方は障害者雇用という場所で、自分を否定することなく、誇りを持って働いています。
もし、最初からAIに「最適解」を突きつけられて、無理やり型にはめられていたら、今のその方のリカバリーはなかったかもしれません。伴走者が一緒に迷い、時間を共有し、共に「道草」を楽しんだからこそ、その方の人生に新しい「値」が宿ったんだと思うんです。
AIは「土台」、人間は「屋根」
僕はよく、これからの支援の形を「家」に例えて考えます。
AIは、強固な「土台」として解釈してます。
事務作業、正確な情報提供、24時間対応の傾聴。これらがしっかりした土台として機能することで、相談者の方の最低限の安心が保障してくれます。
僕たち支援者も、書類仕事という「重し」から解放されます。
人間である僕たちは「屋根」になります。 雨風を凌ぐのはもちろん、時には一緒に空を見上げたり、屋根の下でただ黙って座っていたり。 AIが弾き出す「効率的な答え」ではなく、言葉にならない感情の共有、長期的な信頼関係の構築、そして「意味の共創」を担わせていただきたいと思っています。
AIは「共感しているように振る舞う」ことはできます。でも、実際に「同じ痛みを胸に感じる」ことはできません。利用者さんが語る言葉を聴いて、自分自身の人生経験を重ねて一緒に泣いたり、本気で怒ったり、小さな希望を一緒に見つけたりする。
『・・・・・』
この言葉にならない実感。
「有限性の共有」が、人の心を温める最後の毛布になるのではないでしょうか。
note:AIに仕事を奪ってほしい。


こんにちは☺️✨
こころのnoteさんの記事を音声配信にてご紹介させていただきました🎙️
もし気が向きましたら、聴いてやってくださいませ☺️